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こちらではBONJOVIの各メンバーを紹介します。




BONJOVI BIOGRAPHY

ニュージャージー出身。1984年にデビュー。デビュー当時のメンバーは、ジョン・ボン・ジョヴィ(Vo&G)、リッチー・サンボラ(G)、アレック・ジョン・サッチ(B)、ティコ・トーレス(Dr)、デヴィッド・ラッシュバウム(Key/後に姓をブライアンに改名)の5人。

本国アメリカで同年2月にアルバム「夜明けのランナウェイ」でデビュー。5月には日本デビューも果たしている。日本やヨーロッパを中心に人気が高まる。1986年の3rdアルバム「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」は米国で人気に火がついた最初のアルバムで、初のNo.1を獲得した上に、8週連続全米No.1を記録し'80年代を代表するヒットとなる。

1988年9月に4thアルバム「NEW JERSEY」をリリース後、10月から「NEW JERSEY」に伴うワールド・ツアーをスタート。455日間、全232公演、全世界37ヵ国、地球3周にも及ぶワールド・ツアーは、1990年2月に終了。この頃にはアルバムのセールスも全米だけで800万枚を超え、ボン・ジョヴィは世界で最も有名なロック・バンドとなる。

その反面、メンバーは肉体的、精神的に疲労状態となり、バンドは解散の危機に瀕する。ボン・ジョヴィはしばらくの間バンド活動を休止し、ソロ活動に専念すると発表。その後各自ソロ活動を始める。1992年10月に約4年振りとなる5thアルバム「キープ・ザ・フェイス」のリリースでバンド活動を再開。ボン・ジョヴィ健在を強くアピールし、1993年の全米ツアーでは、メンバー自身がボン・ジョヴィとしてプレイすることに純粋な喜びを見出す。

1994年10月には初のベスト・アルバム『クロス・ロード』をリリースし、驚愕のセールスを記録。わずか数ヶ月間のうちに、全世界で1000万枚を超える爆発的セールスとなった。しかし同年12月に、10年間活動をともにしてきたアレック・ジョン・サッチがバンド脱退を表明。残りのメンバーは後任ベーシストなしで活動することを決意。旧友ヒュー・マクドナルドにヘルプを依頼し、アルバム制作やツアーを行なう。

その後ジョンは本格的に俳優活動もスタートし、数々の映画に出演。1996年には再度バンド活動を休止するが、1999年の映画『エドTV』のサウンドトラックへの曲提供からバンド活動再開。ジョンの自宅スタジオで、7thアルバム「クラッシュ」のレコーディングを開始。このアルバムは2000年5月に世界に先駆け日本でリリースされている。

その後ジョンは、俳優活動も行ないながら、ヨーロッパツアーや全米ツアーなどバンド活動も同時進行で行なう。ジョンはアメリカの人気テレビ・ドラマ「アリー・myラブ」にも出演している。現在もワールドツアー、アルバム制作と第一線で精力的に活動しており、2005年9月には約3年振りとなる9作目のアルバム「ハヴ・ア・ナイス・デイ」をリリース。




ジョン・ボン・ジョヴィ(vo, g)

いわずと知れた本バンドの開設者であり、中心人物。
甘いルックスと声で、女性はもちろん、男性にもファンが多い。
また、バンド活動だけでなく、映画やテレビにも出演しているので、ファンの方は要チェックです!





リッチー・サンボラ(G)

BONJOVIのサブ的存在で、ギターのうまさはもちろんのこと、作曲能力にも長け、
ジョンと共に数々の名曲を生み出しています。
また、ボーカルもうまく、ジョンとはまた違った味があり、コーラス役としても大切な存在です。




ティコ・トーレス(Dr)

目立つ存在ではありませんが、裏方として的確な仕事をしています。
実際にバンドで演奏してみれば、曲中では裏打ちや細かなテクを駆使しており、
簡単そうに聴こえて、実は高度なテクニックを使っていることが分かるでしょう。
最近は画家としても活躍しているようです。



デヴィッド・ラッシュバウム(Key/後に姓をブライアンに改名)

デヴィッドも目立つ存在ではありませんが、(というかジョンとリッチーが目立ちすぎ?)
BONJOVIの名曲の一つである「IN THESE ARMS」の作曲に関わっているというのは、
ファンの間では有名な話であり、密かに作曲能力も高いのでは?と噂されています。
最新アルバムでは、何曲かに関わっており、今後さらなるBONJOVIの発展という意味で
大切な存在ではないかと思います。


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